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  1. 切通正義
    2016年5月7日

    冠省

    小生、日蓮正宗宝淨寺(東京都大田区)を菩提寺とする者であり、神戸市垂水区在住の切通(きりとおし)正義(まさよし)と申します。
    何卒、宜しくお願い申し上げます。

    さて本日は、日蓮正宗総本山第六十七世御隠尊日顕上人猊下の、南無妙法蓮華経についての御指南を御紹介させて頂きます。

    『南無妙法蓮華経は、仏法における根本の仏の悟りであり、また、法と人格とが一体である故に、その仏そのものであるとともに、これを行じられた本仏の功徳の当体でもあります。故に、南無妙法蓮華経には、釈尊の説かれた八万の聖教の意義と三世十万の諸仏菩薩の悟りが具わるとともに、万物の存在の根源を明かす真文であり、一切諸法・一切衆生全体の本質を具えかつ顕しております。故に、すべての人々は、この大法を信じ持つことにより法界の正理に合致するのであります。
    この南無妙法蓮華経を受け持って唱えることを勧められた聖者は、あらゆる宗教・宗旨のなかで、日蓮大聖人ただ御一人であります。故に、日蓮大聖人は『報恩抄』に、
    「日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経を唱ふべし。此の事いまだひろまらず(中略)日蓮一人南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声も惜しまず唱ふるなり(中略)日蓮が慈悲広大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ」(御書一〇三六頁)
    と妙法弘通の大確信を宣言あそばされました。そして、その絶大な信仰の当体として法界のすべてを含み具え、その成仏を示す南無妙法蓮華経を三大秘法の御本尊の中心に表されたのです。
    この御本尊出現の筋道を少々申しますと、釈尊は二千数百年前、インドに出られ、一代五十年の五千巻・七千巻とも言われる経典を説き残されました。これは、真実の教えと、そこから出た方便の教えの全体が余りに厖大なために、仏の付嘱により、解脱堅固、禅定堅固、読誦多聞堅固、多造塔寺堅固の各五百年の時代の機根に適合して、それぞれ小乗・大乗の方便経を述べた仏教家が輩出しました。これは、時代による仏法流伝の筋道に従って、二千年間に釈尊の仏教を正しく伝えた人師であります。しかしまた、これとは別に自己の短見に基づいて権りの教えに執われた多くの仏教家があり、これは仏教の一部のみを取って、自分勝手に宗派を建立しました。しかし、これらの宗派にはすべて、部分に執われて仏教全体の意義に背く咎があります。
    しかるに、天台大師(五三八~五九七)が中国の梁・陳・隋の時代に現れて、一代諸経のなかで法華経が最第一であり、諸経は低い機根の者を導くため、全法界の真理を説く法華経より、その一分一分を取り出して、方便として説いた経々であることを明らかにされました。これは、天台大師が勝手に述べたのではなく、法華経が釈尊の本当の心であることを道理と文証によって証明しております。
    その法華経には、釈尊自らの言として、
    「此の経の中に於て 法華最も第一なり(中略)已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於て、此の法華経、最も為れ難信難解なり」(法華経三二五頁)
    と言われ、また、
    「此の法華経は、諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於て、最も其の上に在り」(同三九九頁)
    さらに、
    「此の法華経も、亦復是の如し。諸経の中に於て、最も為れ其の上なり」(同五三三頁)
    と示され、最上の仏法である故に、一切衆生を救済する法であることを説いています。この仏説に基づいて、天台大師は一代の経経を華厳時、阿含時、方等時、般若時、法華涅槃時に分別して、法華最第一を決定しました。
    この法華経二十八品には迹門と本門とがあり、前半の方便品を中心とする迹門十四品では一切衆生が仏と成る道として妙法が説かれましたが、即身成仏の証悟がまだ徹底していません。そこで、後半の寿量品を中心とする本門十四品では久遠の仏身たる妙法が説かれました。これは、久遠の仏身を説いて衆生を信解させ、その究極の意義として、永遠の生命中の個性における一切衆生が妙法即身の仏であることを悟らしめられたのです。
    しかし、この本門の教法において、インドに出現し、三十歳の時、悟りを開いて仏と成った釈尊が久遠からの仏であると単に示しても、人々は絶対に信じません。そこで、釈尊は久遠からの同体の菩薩を弟子として出現せしめ、その未曽有の威光勢力を持つ地涌千界の菩薩の師であることをもってその本地を示して、一切衆生を凡夫即極の本仏の悟りの境地に導かれたのです。これによって、釈尊在世の久遠からの因縁ある衆生が、寿量品によって成仏の本懐を遂げました。
    そこで、この地涌の菩薩の出現した意義には四つあります。一つには釈尊の命を受けたために来たり、二つには仏在世の衆生が釈尊に対して抱く始成正覚の執着を打ち破るために来たり、三つには釈尊が久遠の仏であることを地涌の菩薩の出現によって示す顕本の故に来たり、四には釈尊より次の時代の妙法弘通の位を委ねられ、妙法を弘めるために出現してきたのです。
    この証拠は、本門八品中の如来神力品に、釈尊は法華経をその中心の肝要法体たる妙法蓮華経に結んで、地涌の菩薩に付嘱されています。これを釈尊は、
    「要を以て」(同四七七頁)
    と明らかに仰せであります。
    この意味をさらにはっきり申しますと、釈尊の法華経は久遠よりの下種を受け取り、その衆生を脱せしめ成仏せしめる、要を含んだ広略の法華経であるに対し、地涌上行菩薩に付嘱された法華経は、直ちにその大本の要の法華経、下種の法華経であるのです。そして、その要の法華経を付嘱されたのは地涌上行菩薩でありますから、それからあとの末法において、この要の法華経は上行菩薩の所持し給うところであり、その所有は脱益の釈尊の手から離れたのです。
    そして、その所有される権能において、要の法華経たる妙法蓮華経の仏法上の位取りと、その法体を教示されるのは、末法出現の地涌千界上行菩薩なのです。この上行菩薩がいかなる形貌で現れたかは、法華経の道理と文証と現証において明らかに証明されるところであり、それは、唯一絶対の法華経の行者・日蓮大聖人であります。
    そこで、日蓮大聖人は、この付嘱の妙法五字が、釈尊の脱益の法華経二十八品に対し下種の法体であり、釈尊の要を包むも、表面は一部八巻の広の法華経に対し要そのものの法体であり、釈尊の文と義の法華経に対し意の法体であることを示されました。この意の法華経とは、寿量品の文の底に沈められた凡夫即極即身成仏の名字即の人法の法体です。そこにまた、釈尊の本門よりさらに已前の、久遠元初という根本の仏法の法体があるのです。これを、大聖人は重要な御書の各所に説かれております。
    これを法についていえば、脱・熟に対する種の妙法、広・略に対する要の妙法、文・義に対する意の妙法であり、人についていえば、久遠元初名字の仏、末法出現の日蓮大聖人であります。そして人と法の関係は、人に即する法、法に即する人、人法一箇の当体であります。
    故に、大聖人が三大秘法の随一たる本門の本尊を顕されるに当たって、南無妙法蓮華経の七字を本尊中央に示し給う所以であります。この御本尊の妙法五字・七字に、戒成慧、六度万行の一切の法門を具え給うのであります。その根本が、久遠元初人法一箇、すなわち末法の日蓮大聖人の所弘・所有し給う南無妙法蓮華経であります。
    以上は、大聖人御一期のあらゆる御書、相伝書を総合した正義として説き給うところであります。つまり、南無妙法蓮華経は、人法一箇の本仏日蓮大聖人の法界遍満の当体、すなわち本尊なのであります。
    この七字に、法界の一切の意義が具わっており、ここに妙法受持の大利益が存するのです。』

    いつの日か、日蓮正宗総本山大石寺へ御一緒に参拝できます様、衷心より御祈念を申し上げる次第で御座います。
    不乙
    平成28年5月7日
    切通 正義

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  2. 関口 和真
    2016年12月31日

    先の参議院選挙で、開票立会人を務め、その際に、色々お話出来、小林先生を支持しようとしております!と、同時に、来年あたりにそろそろ衆議院選挙が、あるのでは…と思っております。野中議員を自分の出来る限りの人脈で、当選させたいと思っております。小林先生の後援会入りも検討しております。その際には、直接、三尻の方まで行きます。何卒よろしくお願い致します。

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